| 「僕にできること」 コンビニへ牛乳を買いに言った帰り道、マンガの最新刊が出ていたことを思い出して俺は本屋へと足を向けた。 蛍光灯が無駄に光っている下でお金を払って、中学生たちのそばをすり抜ける。 けだるそうな口調のわりに飽きることなく喋りつづけている。 高校生を気取っているらしいミニスカートの子は、すでに眉毛が半分なかった。 10月に入ってようやくこの街にも秋の匂いがやって来た。 小さなオレンジ色の花が甘い香りを惜しげなく振りまいている。ウニみたいにも見えるな、と風情のないことを考えた。 ひんやり冷たいアスファルトの上に、生温かい排気ガスを吐きながら自動車が並んでいる。 エンジン音に負けないようにウォークマンの音量を上げ、細い道に入ったところでさっそくマンガのビニールを破った。 気合は入っているがあんまり上手くない絵に、超能力を持つ少年が主人公のありきたりなストーリー。 じゃあなんで買うんだと言われたら正直困る。 俺はなぜか、ものすごく、超能力にあこがれているのだ。 大学生にもなって恥ずかしいとも思うのだけれど、どうしても「超能力」と聞くと思わずテレビを見てしまうしマンガを手にとってしまう。 涼しい風に首筋をさらして歩く。そういえばもうすぐ誕生日だ。 成長期が終わるまえにあと少しでも身長を伸ばさなくちゃ、と牛乳の入った袋を持ちなおす。 父と兄を見るかぎりではもっと伸びるはずなのに、なぜか俺だけが170cmにすら到達していない。 歩きなれた道を踵のつぶれたスニーカーが踏んでいく。 どこかで聞いた歌を頭の中で口ずさむ。ありふれた魔法でつくりあげた、二人だけの国。 初めてこの歌を聴いたとき、この人は魔法がありふれてるなんて言えるんだなと感心した。 「薄汚れてる……」 聞こえた声は、俺が頭の中で歌ってたはずの歌の続きだ。 思わず立ち止まって見上げると、小さな白い子猫が塀の上に座って首をかしげていた。翡翠色の目がキラリと光る。 「もう歌わないの?」 開いた口の中は鼻と同じきれいなピンク色。しっぽの先は真っ白なだけで分かれてはいない。 ぬいぐるみのような子猫が、喋った。 「………なに?」 「なにって捨てられた猫だよ。あ、抱き上げなくていいからね」 生意気にもあの歌の歌詞を使ってからかってくる。 むっつりと黙ってこれは夢だろうかと考えていると、また子猫が口を開いた。 「続きを歌ってよ」 「……なあ。俺、声に出して歌ってた?」 「え? ううん」 てことは、頭の中も読めるのか。これはほんとに化け猫かもなあ。 ぶるると首を振ってまた歩き始めると、白い子猫はあわてて追いかけてくる。 「待って!」 「なんだよ?」 「あなたは、超能力がほしいんでしょう」 思わず足が止まる。がさりと袋が音をたてて、牛乳パックが脚にぶつかった。 「なんで知ってるんだ?」 「ずっと見てたから」 生まれて数ヶ月しか経っていないはずの子猫が言うずっとはどれくらいの長さなんだろうか。 ふたつの瞳が遠くの街灯を反射して、明るく光る。 「あなたの手が歌いはじめるまで、待ってたんだ」 「手が、うたう?」 「うん。きっと近いうちに分かるよ」 子猫はすっと姿勢を正して、足元にきちんと座りなおした。 「そしてぼくは、あなたと一緒にいなくちゃいけないんだ」 子猫を抱え上げる。毛が付くかもしれないが気にしないことにした。 両手にすっぽりおさまってしまうほどのその身体は、けれどもほんのり暖かかった。 目を細め安心したようにセーターに顔をうずめて、あくびとともに呟いた。 「夢はねぇ、もう叶ってるんだ。あとは気づくだけだよ………」 携帯のアラームで目を覚ます。今日は火曜日、2限から講義に出ればいい。 朝っぱらから父に怒鳴られたくないので着替えを探しながら仏壇に軽く手を合わせる。生きていたら俺たちの姉になっていたはずの 幼い女の子の写真は、今日も笑っている。 いつだか、姉さんみたいな病気の子どもを助けたいんだ、だから医者になると兄は言っていた。 俺はそのとき、なんて答えたっけ…。 大人ぶってコーヒーをすする男二人を横目に牛乳を胃に流し込んで、薄っぺらいカバンを持って駅へ向かった。 駅へは大通りを一本渡ればいい。交差点まで行くと遠回りなので、車が来ないときはちょくちょく大通りを突っ切って渡る。 早足で歩道を歩きながら振り返ると、かなりのスピードで走ってくるバイクが見えた。 運転手は真横を向いてなにか話している。二人乗りらしい。こりゃ渡れないな、と思って歩道を歩き続ける。 目の前を、横道から大通りのほうへ舞っていく落ち葉に続いて、小さな子どもがふわりと横切った。 爆音のようなエンジン音はもう聞こえているはずなのに、ぷくぷくした手をひろげて楽しそうに落ち葉を追っていく。 遠くの方から若い女の人の悲鳴にも似た叫び声が聞こえる。それでも、小さな足は止まらない。 運転手がようやく向き直って危険に気づく。が、まだブレーキはかからない。 「危ない!」 俺は思わず手を伸ばした。 頭の中で、危ない危ない危ないと同じ言葉がサイレンのように響く。 と、子どもが不思議そうな顔をして、立ち止まった。 バイクがやっとスピードを落として、少し行き過ぎたところで止まる。母親が追いついて、子どもを後ろから抱きかかえる。 思わず立ちすくんでいた周囲の人たちがほうっと息をついたのが分かった。 子どもは腕に抱かれながら、赤いほっぺたでうーうーとうなって足をじたばたさせた。目がせわしなく動いて、まるで何かを探して いるみたいだ。 青ざめた顔で振り返ったまだ若い母親と目が合った。 「あ……ありがとうございました」 「え、いや、俺はなにも。叫んだくらいで」 うるさく跳ね回る心臓を押さえながら首を振る。 彼女はかすかに戸惑うような表情になって、子どもの耳にそっと触れた。 「この子、生まれつき耳が聞こえなくて」 なのになんで立ち止まったんでしょうね、と首をかしげる。 その仕草に、俺は白い子猫のことを思い出した。 部屋の戸を壊しかねない勢いで開ける。 昨日脱いだままにしてあったセーターの中に、白い子猫が丸まっている。 ピンク色の口を大きく開いてあくびをひとつ。だから言ったでしょ、とでも言うように伸びをしてみせる。 「ずっと思ってたんだ」 朝のひだまりとコーヒーのにおいの中、子猫はじっと俺の言葉に耳を傾けている。 思い出した。俺はあのとき、兄にこう言った。 「僕に何ができるのかなって」 白い子猫は翡翠の瞳で俺を見つめて、手のひらに頬をすりよせた。 耳をくっつけている姿は音楽か何かに聴き入っているようにも見える。 そうしてあくびまじりに一言、 「なんでもって訳にはいかないけど、色々できるはずだよ」 そのまま目を閉じてしまう。 すう、すうと寝息が手のひらにむずがゆい。 「いろいろって……」 そうだな、とりあえず。 この気まぐれな子猫に、朝ごはんを持ってきてあげよう。 |