| スイートピーの話 背の高い生け垣のかたわらに細い道が続いている。そのゆるやかな坂道を、ふたりの人影が登っていく。 すこし癖のある髪が子犬のような少年は、伏し目がちに。 スイートピーの花束を抱えた少女は、なんとなく嬉しそうに。 冷たくやわらかな2月の最初の風があとを追ってきて、少年の肩に小さな枯葉をぽんとのせて行った。 思わず足を止めた彼を振りかえり、少女が首をかしげる。 「空崇くん。どうかした?」 「ん、いや、なんでもないよ。綸ちゃん疲れてない?」 うなずいてまた歩き出す。背中まで届く、茶色がかった髪が首筋からこぼれて跳ねる。 空崇はその光に一瞬だけ目を細めた。 ふたりは坂道のてっぺんにある、大きくて古びた門をくぐる。 その中は墓地だった。 今まで登ってきた坂道をひっくり返したような、なだらかな下り坂を描く石畳。 見渡すかぎり灰色の墓石が並ぶなかに、まだ若そうな梅の木がぽつぽつと花を咲かせていた。 「わぁ」 灰色の墓石の波の終わりには大きなケヤキが、ぐるりとふちを囲むように立っている。 まだ葉が出ていないので、太陽はその枝からあふれるように降りそそいでいた。 その梢を見上げることもなく、まっすぐ前を向いて、空崇は歩いていく。 綸がコトコトと足音を立ててついていく。 紅い花をつけた梅のとなりに、目指す墓石があった。 のどかな日ざしにてらされて幸せそう、と綸は思った。 「……いい天気だね」 「うん」 「いいところだね」 「……うん」 空崇は空を仰いで、そのまま敷石の上に座り込んだ。 こうしていると、喪服のかたまりの中にいたいつもの黒い制服姿の自分とか、灰色の傘から落ちた水滴が震えていた母の横顔とか、まっ白な菊の花とか、そういうものはこの場所にひどく似合わなかったような気がした。 だって父さんのいるところはこんなにも明るいのに。 「綸ちゃん」 空を見上げていた綸がすこし背伸びしたような姿勢のまま顔を向ける。 俺の顔はどんなふうに見えるだろう。まぶしくて目を細めているように見えればいいんだけれど。 「……俺、いつもここにくるときは、悲しいって思わなくちゃいけないような気がしてたんだ。だって父さんはもういないんだから」 綸は黙って、空崇のとなりに座った。ちょっぴり笑みを向けて、彼は続ける。 「でも……なんか、安心するって言うか、俺もここが、好きなんだ。 父さんがいなくなって淋しいけど、でも父さんもきっとここが好きだから……」 だってここはアトリエに似ているから。 「父さんは……ここにいて幸せだと思うんだ」 「うん」 綸がちいさくうなずいて、そのままうつむいた。 「……それでも、わたし、寂しがっていい?」 「うん」 「……しばらくごめんね」 それから綸は、肩を震わせて、しずかに泣いた。 空崇は座ったまま空を見上げていた。 『空みたいに高くて、たくさんの人から見上げられて、でもいつでも人のそばにいて、あっけらかんとした人になれるように』 ねぇ、父さん。 俺はそんな風になれてるのかな。 父さんがくれたこの名前に、負けてないかな。 もしダメだと思ってもさ、もうちょっと見ててよ。 俺、まだ少しずつ大きくなってるから…… 綸が涙目で、でもちょっと笑って彼を見上げた。 空崇もちょっと笑った。 「花、飾ろうか」 「うん」 スイートピーが揺れている。 「ね、スイートピーの花言葉って知ってる?」 綸がふと手を止めて訊ねた。その小さな手の甲にひとしずく、水の玉が光っている。 空崇は目を細めながら首をかしげた。 「父さんから聞いたことあるはずだけど……忘れちゃったな」 「そうなの。知っていて選んだのかと思ってた」 「何なの?」 「“優しい思い出”と、“門出”」 黙ったまま二人はほんのすこし微笑んで、スイートピーの花にそっと触れた。 飛びたとうとする蝶が、羽を広げてお別れのあいさつをしている。 |