あたたかい冬の日の話


 ボクは野宮直人。小柄でかわいい(ってよく言われてるけどこれは褒められてるのかな)、男子高校生だ。

 昼休みの2−3はいつも通りに騒々しく、冬晴れのぽかぽかした陽ざしが使い込まれた机をいたわるように照らしている。
 途切れ途切れに聞こえるのはトランプに熱中するやつらの笑い声と、バレンタインデーのお菓子をあれこれ言いあう女子の声、その他いろいろ。

 そんな長閑な教室の中、人一倍ゆるんだ顔をしているひとりの少年がボクの目の前にいる。ボクの目下の親友、広瀬空崇。
 彼は机を動かすやいなやものすごく嬉しそうに、自分の家のアトリエを貸している女の子のことを話し出した。
 人見知りみたいだけどちょっと仲良くなれたみたいなんだ、と幸せそのものの声でのたまう。
 2月上旬の今日、春まではまだ遠いと思ってたんだけど。

 ボクは話が一段落したのを見はからって、

「それでキミは、そんなにご機嫌なんだね」

 と言った。彼がきょとんとした表情を浮かべるので、弁当をつつきながら説明する。

 ボクは誰かを観察するのが好きだ。
 そして今日の彼はちょっと聡い人にならバレバレなくらい、楽しそうにしている。しかも退屈なときに学ランのホックをいじる癖も全くない。
 つまり、楽しくうきうきして、考えることもたくさんあると言うわけだ。

 広瀬は感心したようにうなずいて、すごいねと真面目な顔で言った。
 とくに頭が悪いわけでもないのだけれど、彼はかなり素直なところがあるのだ。
 だからたぶん、その人見知りの子とも仲良くなれたんだろう。とにかく彼は、嘘とか隠し事とかそういうものを全然感じさせないから。

「で、その綸っていう子はいくつなの?」
「一コ下。葉山芸の1年生」
「へえ。意外だな、広瀬は年上が好きなのかと思ってた」

 くしゃくしゃとした髪と首をかしげて、

「なんで?」
「いや……年上の女の人がときどき見せる弱さ、なんていうのが好きかなって。じゃなきゃクールだけど実はすっごい繊細な、カッコいい男とか」

 メロンパンを見事にのどにつまらせて、彼はむせ込んだ。眼鏡の奥で、いかにも優しそうな目に涙が浮かんでくる。
 ボクは笑いながらジュースを渡してやった。

「どっ、どうして男なんだよ!?」
「なんとなく。いいじゃん、もう男好きの疑いは晴れたんだし」
「へ?」

 おやおや。広瀬、自分が綸ちゃんのことばっかり話してたこと、自覚してないのか。

 目を丸くしたちょうどそのとき、頭上のスピーカーからお決まりのピンポンパンポンに続いて、女の子のきれいな声が先生の呼び出しを告げた。
 やたらと聞き覚えがある声だ。

「藤村さんがんばってるな。9月からずっと昼の放送やってるよ?」
「そうだっけ。たぶん他の人のも代わってあげてるんだ」
「ああ。やりそう」

 藤村さんはうちのクラスの放送委員で、広瀬と同じ中学出身。白い肌に天然の茶髪、ピアノも堪能というお嬢様のような子だ。
 ただ、ものすごいお人よしのせいで面倒な仕事を押し付けられることもしばしば。

「そうだ、広瀬んちに川辺流夜の『ひよこ豆とラジオ』ってある?」
「ハードカバーならあるよ」

 ボクたちは本好きで、ときどき互いの“蔵書”を読みに行っている。

「じゃあ今週末バイトないから行くよ。大丈夫?」
「いいよ……あ、綸ちゃんがいるかも」
「じゃあなおさら行く!」

 広瀬はしまったというように口をへの字に曲げた。



 朝に弱いボクが広瀬の家に着いたのは、3時をすこし回ってからだった。
 土曜日の図書館は混んでいるようで、道をはさんで向かい側には自転車が駐輪場からあふれんばかりに停まっている。
 学校用の定期を使って来たのに、美味しそうなケーキの店を見つけて「苺の姫タルト」を3つも買ってしまったから財布の中はちょっと寂しいことになっている。

 呼び鈴を押すとなにか慌てたような足音がして、広瀬が顔を出した。

「野宮……うん、上がって」

 微妙に困っている顔に違和感を感じながら、玄関と廊下を通って開けっぱなしにされたリビングへの扉をくぐる。
 そこには女の子がひとり、テーブルのそばの椅子に座っていた。
 ちっちゃくて大人しそうだ。手に絵の具がすこし付いているから、この子が綸ちゃんかな。
 広瀬がボクの分の紅茶を持って来てくれた。

「さっき言ってた友達だよ。野宮、うちのアトリエを貸してる、岩崎綸ちゃん」

 綸ちゃんはぺこりと頭を下げた。ボクもよろしく、と言いながら礼をかえす。

「苺のタルトを買ったんだけど、食べる?」
「……えっと、いただきます」

 かすかな声で綸ちゃんは答えてくれた。
 目の前に並ぶつやつやの真っ赤なイチゴを見て、ほんのちょっぴりだけ頬をほころばせる。
 あ、いい子だなと思った。

 しばらくお茶を飲んだりお菓子をつまんだりしているうちに、ボクは彼女の長いまつげと目がすこし濡れていることに気づいた。
 ときどき鼻をすするし、よく見るとセーターの袖口に水がしみこんだような跡がある。泣いてたのか。

 それで広瀬は困ったみたいな顔をしてたんだな、と納得する。
 女の子に泣かれることなんて滅多になさそうだから、ものすごく大事件だったんだろう。

 そんなことを考えたとき、綸ちゃんが口を開いた。

「あのね、今日、一樹が来るって言ってた。部活で学校に来るから、帰りに寄るって」
「何の用だろう?」
「いつきってだぁれ?」

 きょろきょろとボクと広瀬を見比べて、とりあえず広瀬に首をかしげて分からないと答えた。
 それから小さく息を吸って、

「友達なの」

 その声はとても小さかった。本当に、ものすごく人見知りらしい。
 緊張しまくっている彼女がちょっとかわいそうだけど面白くて、笑ってしまう。

「だいじょうぶ、ボクはすぐ上に行くから」

 そう言うと綸ちゃんは一瞬あからさまにほっとして、それからバツの悪そうな顔をした。
 ボクは言葉通りに2階へ上がって、本棚のある部屋にいつもどおり陣取って、読書をはじめる。


 ぴーんぽーん、という間の抜けた音にボクは顔を上げた。
 いつのまにか5時をすぎて、部屋の中は薄暗くなりかけている。本を棚に戻してから、僕は荷物を取りにリビングへ降りていく。

「広瀬ー、ボクそろそろ……」

 リビングには誰もいなかった。
 ちょっと肩すかしをくったような気持ちで、玄関への廊下に出る。

 玄関には3人が立っていた。
 ひとりは広瀬。もうひとりは綸ちゃん。
 そしてもうひとりは、すっと伸びた背筋にとても綺麗な顔の、女の子かと思ったけれど、葉山芸の制服のスラックスをはいている男の子。
 綸ちゃんは意外に小柄な彼の肩につかまって靴を履いていた。

 うわ……ライバル登場。しかも、美少年。

 中途半端にドアを開けた姿勢で固まったボクにはかまわず、口々にあいさつをしてふたりは帰っていく。
 ボクは立ちつくしたまま、こっちを振り向いた広瀬を見た。

「どうかした?」

 思っていたよりずっと、彼は平気そうな顔をしている。
 ボクはもう一度肩すかしをくったような気がした。

「あ……ううん、そろそろ帰るよ」
「そう? じゃあまた月曜に」

 玄関の外で2月の冷たい風に吹かれながら、ボクはため息をついた。